全責任は拙者にござる!戊辰戦争に敗れて切腹した新選組隊長・森常吉が守り抜いたものとは? (2/5ページ)
しかし、鳥羽伏見の戦いに敗れた将軍・徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)が江戸に退却してしまい、それに随従した主君・松平定敬を護衛するため、常吉は同僚の関川代次郎(せきかわ だいじろう)らと共に江戸へ向かいました。
5月15日の上野戦争では常吉らも旧幕府軍に参加して新政府軍を迎撃。ここでも武運拙く敗れてしまいますが、徹底抗戦の意志を曲げない主君・松平定敬を守りながら江戸から北上、蝦夷地(現:北海道)を目指す道中、新選組(しんせんぐみ)に入隊します。
新選組と言えば、京都洛中の治安維持に活躍した「人斬り集団(実態はともあれ)」として知られていたものの、さる4月25日に局長・近藤勇(こんどう いさみ)は新政府軍によって処刑されており、かつての勢いはすっかり失われていました。
とは言っても京都での武勇伝はなおも人々を震撼せしめており、蝦夷地で反転攻勢の陣を布くべく、常吉らは新選組に希望を託すのでした。
かくして明治元1868年12月15日、箱館(はこだて。現:北海道函館市)を拠点として旧幕臣・榎本武揚(えのもと たけあき)らによる「事実上の政権(いわゆる蝦夷共和国)」が誕生すると、新選組を率いていた土方歳三(ひじかた としぞう)は陸軍奉行並に昇格。
常吉はその後釜として新選組隊長(頭取改役)を拝命、新選組隊士150名を率いて新政府軍を迎え撃つこととなりました。