全責任は拙者にござる!戊辰戦争に敗れて切腹した新選組隊長・森常吉が守り抜いたものとは? (1/5ページ)

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全責任は拙者にござる!戊辰戦争に敗れて切腹した新選組隊長・森常吉が守り抜いたものとは?

「社長……ここは、私が腹を切りましょう」

「専務!」

会社のピンチを乗り切るため、重役が然るべき責任をとることを「腹を切る」などと言いますが、大抵は辞職する程度で、命に係わることは稀でしょう。

しかし、かつては御家の存続を賭けて、重臣が文字通り腹を切り、命を捨てることもまた奉公の一つでした。

今回はそんな一人、幕末に活躍した新選組隊長・森常吉(もり つねきち)のエピソードを紹介したいと思います。

新選組隊長として、箱館戦争で決戦に臨む

常吉は江戸後期の文政九1826年6月12日、伊勢国桑名(くわな。現:三重県桑名市)藩士・小河内殷秋(おごうち ただあき)の長男として誕生しますが、生家ではなく子供のいなかった伯父の森家を継ぐことになります。

桑名藩主・松平定敬。Wikipediaより。

元服して陳明(つらあき)と改名。桑名藩に出仕するようになると、御馬廻、横目、御使番、大目付を歴任する出世コースを歩み、桑名藩主・松平定敬(まつだいら さだあき)が京都所司代として出張している時は、公用人(留守居役)の筆頭として朝廷や諸藩との外交責任者を務めました。

そんな常吉でしたが、やがて討幕の機運が高まった慶応四1868年1月、戊辰戦争(ぼしんせんそう)が勃発すると、徳川将軍家にゆかりの深い桑名藩は旧幕府側として参戦します。

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