全責任は拙者にござる!戊辰戦争に敗れて切腹した新選組隊長・森常吉が守り抜いたものとは? (4/5ページ)
ダセェ」などと思ってしまうかも知れませんが、常吉は違いました。
「今こそ、主君のお役に立てる『命の使いどころ』である!」
投獄されていた常吉は、新政府軍に対して「藩主・松平定敬をはじめ、桑名藩における全ての責任は拙者にござる」と申し出ます。賊軍となった諸藩では多くの者が責任逃れに終始していた中、その立派な態度は忠臣の鑑として高く評価されたようです。
新政府軍の中には「桑名藩憎し」、ことに「家臣を見捨てて逃げ出した松平定敬を生かしておくべきではない」という声も強くありましたが、最終的には「ここは忠義の心映えをこそ尊重すべき」として、常吉は旧桑名藩邸で切腹を申し付けられたのでした。
「なかなかに おしき命に ありなから 君のためには なにいとふへき」
【意訳】なかなか惜しい命ではあるが、主君の為とあれば何も厭うことはない「うれしさよ つくす心の あらはれて 君にかはれる 死出の旅立」
【意訳】忠義の心が認められ、主君の代わりに死ねるとは、奉公人冥利に尽きるではないか
明治二1869年11月13日、常吉は二首の辞世を遺し、44歳の生涯に幕を閉じたのですが、その甲斐あって、旧主・松平定敬は明治五1872年1月6日に赦免。明治四十一1908年に61歳の天寿をまっとうできたのでした。