人づくりこそ、国づくり…台湾の教育改革に命を奉げた六氏先生のエピソード (3/7ページ)
一、井原順之助(いはら じゅんのすけ)
一、桂金太郎(かつら きんたろう)
一、楫取道明(かとり みちあき)
一、関口長太郎(せきぐち ちょうたろう)
一、中島長吉(なかじま ちょうきち)
一、平井数馬(ひらい かずま)
一、山田耕造(やまだ こうぞう)
いずれも30代以下という新進気鋭の教育者として活躍しており、特に平井数馬は当時17歳という若さですから、よほどの俊才だったのでしょう。
かくして6月、台湾に渡った8名は、台北北部にある芝山巌恵済宮(しざんがんけいせいきゅう)という道観(どうかん。道教寺院)の一角を借りて「芝山巌学堂(しざんがんがくどう)」という小学校を開いたのでした。
これまでの「よそ者」たちと様子が違った日本人さて、晴れて小学校を開いた伊沢修二ら8名ですが、最初から台湾住民に受け入れられた訳ではありませんでした。
「どうせ、日本にとって都合のいいきれいごと(プロパガンダ)を吹き込むための場所だろう?そんなところに誰が通うものか!」
オランダ統治から二百数十年……その後入れ代わり立ち代わり台湾を統治してきたよそ者(※)たちは、台湾人を利用・搾取(そして弾圧)こそすれ、親身になってくれたことなど一度もありませんでした。