人づくりこそ、国づくり…台湾の教育改革に命を奉げた六氏先生のエピソード (6/7ページ)

Japaaan

もし我々が国難に殉ずることがあれば、台湾子弟に日本国民としての精神を具体的に宣示できる」

武装とは相手が襲ってくることを想定している≒信用していないからするものであり、命がけで「あなたを信用している」と言うメッセージを示さなければ、こちらの言うことなど心から聞いてはくれないでしょう。

たとえそれで殺されたとしても、台湾のみんなに「彼らは命がけで自分たちを信じようとした」という日本の精神を示すことが出来る……現代人の価値観からすれば賛否両論でしょうが、彼らは大真面目でそう語ります。

そして明治二十九1896年1月1日、彼ら(用務員の小林清吉を含めて7名)は匪賊100余名の襲撃を受け、懸命の説得も虚しく惨殺。その首級を奪われ(当時、台湾では首狩りの風習が一部に残っていました)、芝山巌学堂も散々に略奪されてしまったのでした。

エピローグ

この事件を重く見た日本政府は、「六氏先生」と呼ばれた犠牲者たちを丁重に弔うと共に台湾統治を強化。戻ってきた伊沢らによって芝山巌学堂も授業が再開され、徐々に近代教育が根づいていきます。

そんな努力の甲斐あって、日本が統治した約50年間で、台湾人の学齢児童就学率は0.5%から70%に増加(昭和十八1943年)、識字率も終戦時(昭和二十1945年)には92.5%にまで増加しました。

誰もが読み書きできることで豊かで公正な社会生活を求められ、望む者にはより高い教育も受けられる……後に経済発展を遂げた台湾国の基礎は、六氏先生をはじめとする先人たちの勇気と情熱によって築き上げられたのです。

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