人づくりこそ、国づくり…台湾の教育改革に命を奉げた六氏先生のエピソード (2/7ページ)
当時、台湾は清国より中華文化の及ばない「化外(けがい)の地」と呼ばれ、腐敗した役人への不満からしばしば叛乱が起こり、またオランダ統治時代(17世紀)に持ち込まれた阿片(アヘン)や風土病(コレラやペスト、チフスなど)が蔓延していました。
阿片中毒者。荒んだ暮らしが人々を薬物に走らせ、公衆衛生の悪化が伝染病の蔓延を招いた。Wikipediaより。
そんな台湾を清国はすっかり見捨てており、これまで歴代政権が挫折してきた数々の難題を解決し、台湾統治を成功させるためには、教育事業を通じて人間が変わっていくより道はありません。
人づくりこそ、国づくり……そう確信した文部省の伊沢修二(いざわ しゅうじ)は、初代台湾総督となった樺山資紀(かばやま すけのり)に教育事業の重要性を訴えました。
「伊沢君の言うことは至極もっともであるから、適切な人材を選んで連れていくといい」
そこで伊沢はさっそく全国から優れた教育者7名を抜擢、共に台湾へ乗り込んだのですが、その顔ぶれは以下の通りです。