人づくりこそ、国づくり…台湾の教育改革に命を奉げた六氏先生のエピソード (5/7ページ)
匪賊の襲撃によって7名が犠牲に
8人の教育事業は順調に理解を獲得。9月には生徒も21人に増えたので、甲・乙・丙の3クラスに分けて授業を行うなど、小学校は賑やかになってきました。
そんな中、台湾に残留していた清国軍の残党や匪賊(抗日ゲリラ)を征伐中だった北白川宮能久親王(きたしらかわのみや よしひさしんのう。明治天皇の義叔父)が10月28日に陣中で薨去されたため、8人のうち伊沢と山田が親王の棺に随行、日本へ一時帰国します。
台湾に残った6名。左手前から右に桂金太郎、楫取道明、関口長太郎、左奥から中島長吉、井原順之助、平井数馬。Wikipediaより。
残った6名は変わらず授業を続けましたが、暮れごろになると台北の治安が悪化。匪賊らが「日本人の首に懸賞金をかける」と宣伝し、命を狙われるようになりました。
「どうか、日本へお逃げ下さい。あるいはせめて武器くらいはお持ち下さい」
必死に避難を勧める地域住民に対して、6名は毅然と答えます。
「身に寸鉄を帯びずして住民の群中に這入(はい)らねば、教育の仕事は出来ない。