「俺を総大将にしろ!」天下一の傾奇者?それともうつけ者?信長の甥・織田頼長の武勇伝【下】 (2/6ページ)
「ちぇっ、関ヶ原で手柄さえ立てていりゃなぁ……」
いくら「天下一の傾奇者」と嘯いたところで、では「関ヶ原の時はどこで何をしていたか」と訊かれれば、口ごもるよりありません。
そんな孫十郎とは関係なく、関ヶ原で勝利した徳川家康は次第に主君である豊臣家の権力基盤をジワジワと削り続け、いよいよ天下簒奪の野心を露わにした慶長十九1614年、秀頼に対して宣戦布告しました。
「よぅし、次こそ『無双』して大手柄を立ててやるぜ!」
後世「大阪の陣」と伝えられる最終決戦で豊臣方についた孫十郎ですが、与えられた部隊は、雑兵らを掻き集めた一万ばかり。
「何だよ、この扱いは!俺が総大将じゃないのか!」
大阪冬の陣。谷町口を守備する孫十郎(ここでは別名の織田長頼)たち。Wikipediaより。
北川治郎兵衛宣勝(きたがわ じろべゑ のぶかつ)や井上小左衛門時利(いのうえ こざゑもん ときとし)らと共に二の丸・谷町口の守備を命ぜられた孫十郎は、その配置に不満を漏らします。