「俺を総大将にしろ!」天下一の傾奇者?それともうつけ者?信長の甥・織田頼長の武勇伝【下】 (3/6ページ)

Japaaan

この俺はあの信長の甥なんだぞ……そう言わんばかりでしたが、周囲の者にしてみれば「だからこそ、何の実績もないお前(≒織田家のブランド)に、雑兵とは言え一万の部隊が与えられたんだよ」と思っていたのかも知れません。

ちなみに、父・織田長益(おだ ながます。有楽斎)は「徳川方のスパイ(表向きは両軍の調停・交渉役)」として秀頼の傍に仕え、庶兄の源二郎は慶長十一1606年に亡くなっています。

「俺を総大将にしろ!」ワガママの通らなかった孫十郎は……

ともあれ始まった大阪城の攻防戦は一進一退を繰り返し、塙団右衛門直之(ばん だんゑもん なおゆき)の夜討ちや、真田丸(さなだまる)の出城で有名な真田信繁(さなだ のぶしげ。幸村)の活躍など、多くの武勇伝が生まれました。

孫十郎も友軍と共に二の丸・谷町口で藤堂和泉守高虎(とうどう いずみのかみ たかとら)の攻勢を防いでいましたが、今一つパッとしません。

「こっちから出撃したいのに、治郎兵衛や小左衛門が『自重しろ』と邪魔をする……やっぱり3トップ制だと士気が下がる。ここは一つ、俺が総大将として指揮とらないとダメだって事を思い知らせてやろう」

とでも考えたのか、孫十郎は病と称して陣中に引きこもるようになり、戦力が低下した谷町口は次第に劣勢となっていきました。

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