「俺を総大将にしろ!」天下一の傾奇者?それともうつけ者?信長の甥・織田頼長の武勇伝【下】 (5/6ページ)

Japaaan

茶人として生きた晩年

豊臣家の滅亡によって戦国乱世の終結(元和偃武)が宣言されると、孫十郎は助命される代わりに出家して道八(どうはち)と号し、父の創始した茶道の有楽流(うらくりゅう)を継承します。

「ま、俺だって信長の甥だから、茶の嗜みくらいはあるんだぜ」

茶人として晩年を過ごした(イメージ)。

しかし、積極的に徳川家へ敵対したことから味舌藩は継がせてもらえず、3万石の所領は1万石づつ四男の織田荘蔵長政(しょうぞう ながまさ。戒重藩)、五男の織田武蔵守尚長(むさしのかみ なおなが。柳本藩)に分け与えました。

残り1万石は父・長益が自分の隠居領としてキープし、元和三1617年に誕生した孫十郎の長男・三五郎(さんごろう。後の織田長好)の成長を待って相続させるつもりだったようです。

そんな中、若い頃の無茶がたたったのか元和六1620年9月20日、孫十郎は39歳の若さで人生に幕を下ろしました。もしかしたら、いい年になってもまだ傾奇者っぷりが改まらなかったので、粛清されてしまったのかも知れません。

偉大なる伯父・信長を超えようと葛藤し、「天下一の傾奇者」を目指したその最期が、少しでも心安らかであったことを願います。

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