「俺を総大将にしろ!」天下一の傾奇者?それともうつけ者?信長の甥・織田頼長の武勇伝【下】 (6/6ページ)

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エピローグ

とは言っても出来が悪い子供ほど可愛いのか、長益もショックを受けたようで、翌元和七1622年に息子の後を追って身罷ると、まだ6歳だった三五郎は正式な後継者として認められず、味舌藩は改易(所領を没収)されてしまいました。

6歳で放り出されてしまった三五郎は苦労の中で成長し、やがて元服して織田長好(ながよし)と改名。千姫(せんひめ。徳川家康の孫娘で、秀頼の元正室)の口添えによって3千石の合力米(ごうりきまい≒施し)を受けていたようです。

長好も祖父の有楽流を受け継いだものの、子供がないまま慶安四1651年5月20日に35歳で死去。有楽流茶道は長政らによって受け継がれ、今日に至っています。

【完】

※参考文献:
桑田忠親『太閤家臣団』新人物往来社、1971年1月
戦国人名辞典編集委員会 編『戦国人名辞典』吉川弘文館、2005年12月
家臣人名事典編纂委員会 編『三百藩家臣人名事典』新人物往来社、1987年11月

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