引き裂かれた姉弟愛…。飛鳥時代に生きた姉・大伯皇女と弟・大津皇子の悲劇 【その3】 (2/6ページ)

Japaaan

飛鳥時代に生きた姉・大伯皇女と弟・大津皇子の悲劇 【その2】

父・天武天皇が亡き後に大津皇子の謀反発覚

天武天皇の宮殿があった伝飛鳥宮跡
(写真:photo-ac)

686年9月、大津皇子にとって偉大な父・天武天皇が崩御。そのわずか3週間後に、人々を震撼させる事件が起きました。大津皇子の謀反が発覚したのです。

【密かに伊勢へ下向した大津皇子〜父の葬送の際、なぜ姉に会いに抜け出したのか〜】

事件について『日本書紀』では、新羅僧・行心(新羅から渡来した僧)が大津に謀反を勧めたとし、『懐風藻』では、親友だった川島皇子(かわしまのみこ)が謀反を密告したと伝えています。

大津が実際に謀反を企てたかどうか、その真相は全くの謎です。

しかし、大きな疑問として残るのは、天武の殯宮儀礼(葬送)という重要な国家行事の発端に、伊勢神宮に斎王として奉仕していた姉・大伯皇女に会いに伊勢へと下向したことです。

なぜ、天皇崩御直後という厳戒態勢の中で、皇太子草壁に次ぐ地位にあるにもかかわらず、大和を抜け出したのか。

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