引き裂かれた姉弟愛…。飛鳥時代に生きた姉・大伯皇女と弟・大津皇子の悲劇 【その3】 (4/6ページ)

Japaaan


(写真:photo-ac)

その無念さとは、謀反に失敗したことか、それとも父天武の遺志を守ることができなかったことなのか。

自由奔放で、人懐っこく、おおらかな性格で知られた大津皇子。彼の周囲には多くの人がいたのに間違いありません。しかしながら、そうした人々の思惑が複雑に交差し絡み合い、大津の悲劇に繋がっていったのではないでしょうか。

大伯皇女の心の叫びが伝わってくる歌

弟の身を案じつつ姉が眺めた二上山(写真:photo-ac)

父親である天武天皇の葬送が始まったというのに、危険を冒してまですがるような思いで自分を訪ねてきた弟・大津皇子。その弟が、大和に帰るときに大伯皇女が詠んだ歌が『万葉集』に収録されています。

「二人行けど 行き過ぎ難き 秋山を いかにか君か ひとり越ゆらむ」

(訳:二人で行けども行き過ぎにくい秋山を、どうやって弟の大津皇子は独りで越えているだろうか)

大伯の歌から読み取れるのは、謀反であれ、忠誠であれ、大津の将来に困難しか見えないことです。弟の身を案じる心の叫びが、ひしひしと伝わってくるようです。

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