引き裂かれた姉弟愛…。飛鳥時代に生きた姉・大伯皇女と弟・大津皇子の悲劇 【その3】 (6/6ページ)

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弟・大津皇子の菩提を弔った姉・大伯皇女の生涯

大津皇子を弔う薬師寺(写真:photo-ac)

大伯皇女のその後の消息ははっきりしていません。『日本書紀』によると、702年に41歳で死去しています。

おそらくは、生涯独身を貫き、弟の菩提を弔う人生であったのでしょう。大津皇子の鎮魂寺・薬師寺の『薬師寺縁起』によると、694年に大伯が伊賀国名張郡に天武天皇供養のため「昌福寺」を建立したされます。

しかし、天武供養とは表向きで、実は大津の冥福を祈るために、持統天皇の援助のもと建てられたとの説があるのです。

それが事実であるなら、持統の大津への鎮魂の証ともとれて、少し救われた気持ちになるのは筆者だけでしょうか。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

【完】

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