王貞治、KKコンビ、ハンカチ王子…夏の甲子園「伝説の名勝負」舞台裏 (2/6ページ)
本来なら延長は18回ですが、試合中に、12回までで引き分け再試合にすることが決まっていました」(ベテラン記者)
12回裏、江川は四球から一死満塁のピンチを招き、カウントは3ボール2ストライク。ここで江川は野手をマウンドに集める。「このとき、江川は“思いっきり投げたい”と相談。これにチームメイトは“ここまで来れたのは、おまえのおかげだから、任せる”と、江川の背中を押したといいます」(前同)
そして江川が全力投球した運命の一球は、すっぽ抜けてボールに。作新は押し出しでサヨナラ負けを喫した。のちに江川は、この試合についてこう語っている。「野球生活で最高の思い出となった一球。悔いはない。最後の球を投げる前に、みんなが激励してくれた。あのときほど、気持ちが一つになったことはなかった」
高校3年間で、完全試合2回、ノーヒットノーラン9回という剛腕の最後の夏は、野球以上に大事なものを手に入れた時間だった。
■“平成の怪物”の熱投
怪物なら“平成の怪物”の熱投も忘れてはいけない。1998年第80回大会の準々決勝、横浜(東神奈川)のエース・松坂大輔が、強豪・PL学園(南大阪)を迎えた試合だ。「この試合まで松坂は、3試合で完投。しかも、前日に148球を投げたばかりでした」(高校野球関係者)
PLは、疲労の見える松坂を揺さぶり3点を先取。以後は点の取り合いとなり、8回に横浜が同点に追いつくと、そのまま延長戦に突入する。「松坂は試合後、“11回以降、頭がボーッとして、どう投げたか覚えてない”と語っていました。そんな状態でも、12回から15回まで三者凡退。さすがは“怪物”ですよ」(前同)
決着は延長17回、横浜が2点を奪い、9対7で勝利。松坂は250球を投げ抜いた。「さすがに翌日の準決勝は1回のみの登板でしたが、翌々日の決勝は、先発してノーヒットノーランを達成。