異例の大出世!戦国時代に商人から一大名にまで上り詰めた小西行長の活躍から斬首まで (2/4ページ)

Japaaan

 宇喜多直家/Wikipediaより

その後天正7年(1579)、宇喜多家が織田家に属した際、三木城攻めを行っていた豊臣秀吉の元に直家からの使者として行長が出向きます。

行長はそこでも才能を発揮したことで秀吉の目に止まり、今後は秀吉の家臣として歩んでいくことになりました。

舟奉行として秀吉をサポート

秀吉の家臣となった行長は舟奉行として海上に関することを管理することになります。水軍を指揮することはもちろんのこと、物資の海上輸送も抜かりなくこなしました。

豊臣秀吉/Wikipediaより

そして、天正13年(1585)の紀州征伐や天正15年(1587)の九州征伐、肥後国人一揆で名を挙げた行長は肥後国(熊本県)南部を領地とする大名として出世しました。

講和内容により秀吉の怒りを買う

文禄元年(1592)の文禄の役の際では、先鋒として釜山に上陸しました。

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