異例の大出世!戦国時代に商人から一大名にまで上り詰めた小西行長の活躍から斬首まで (4/4ページ)
行長が西軍に与したのは、武士としてのきっかけを与えてくれた宇喜多家への義理と文禄・慶長の役で強い関係性になった三成との義に応えたのではないかと考えられています。
しかし、行長の思い空しく小早川秀秋たちの裏切りによって敗北し、捕らえられます。
そして、三成たちと共に京都の六条河原で斬首されました。行長はキリシタンだったので、ポルトガル王妃から授かったキリストとマリアのイコン(聖書の出来事を描いた絵)を掲げて、3回頭に載せた上で処刑されました。
最後に商人から一転して武士として歩んだ行長。中国地方の三大謀将の1人、宇喜多直家と関白となった豊臣秀吉から才能を目に止められていたので、行長が商人時代から優秀だったことがわかります。
また、生まれが商人ということで損得勘定を大切にする背景から文禄・慶長の役では交渉役として動いたのかもしれません。もしかしたら、関ヶ原の戦いも兵力差から勝てると見込んで西軍についたのかもと思えてしまいますね。
参考
円道祥之『戦国友情伝 ~戦乱が結びつけた!?男と男~』 白石一郎『海のサムライたち』日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan