2021年のオリンピック開催は是か非か コロナ禍で問い直されるスポーツの意義 (3/6ページ)

新刊JP

そのなかには、サッカー日本代表が初めて参加した1936年のベルリンオリンピックで、強豪スウェーデンを相手に逆転勝利を収める立役者となった、エースストライカー松永行(まつながあきら)のように、戦地に赴く前まで「戦争に行きたくない。サッカーを続けたい」と言い続けた選手もいれば、やはりベルリン大会で致命的なミスからメダルを逃し、捲土重来を期すはずだった東京オリンピックを奪われたことで目標を失い、自ら志願して戦地に向かった陸上短距離走者の鈴木聞多(すずきぶんた)のような選手もいる。

「戦没オリンピアン」37人には、37の人生の物語がある。彼らに中では、1932年のロサンゼルス大会、つづく1936年のナチスの「国策オリンピック」ベルリン大会に参加したものが圧倒的に多数を占める。メダリストになったものも多い。しかしロサンゼルス大会の1年前には満州事変、ベルリン大会の翌年には盧溝橋事件が起き日中戦争が本格化するなど、時代は戦争へと大きく傾いていく。

「そのような(戦争が当たり前のような)時代だったのでアスリートたち自身は、スポーツを国家が政治的に利用している、などとは考えていなかったと思います。それについての意見や発言なども、取材をした限りでは見出せませんでした。

ただ、スポーツをスポーツとしてやっていく中で、国の威信を背負って競技に臨んでいたのは確かですし、戦争の匂いがだんだんと濃くなっていく時期ですから、オリンピックで戦うアスリートの姿を日本が他国と戦う姿と重ねて見る向きは出てきます。そうやって純粋にスポーツができる環境ではなくなっていく重圧になにかしら息苦しさを感じていたのではないでしょうか」(大鐘さん)

表紙

純粋に競技に没頭したくても、時代がそれを許さない。

東京五輪のメダリスト候補だった陸上競技のスプリンター鈴木聞多は、日中戦争の最前線に送られる。

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