岸部四郎、ジュリー、ショーケン…世間が熱狂!グループサウンズの「感動秘話」 (1/3ページ)

日刊大衆

岸部四郎、ジュリー、ショーケン…世間が熱狂!グループサウンズの「感動秘話」

 8月に元『ザ・タイガース』の岸部四郎氏(享年71)が死去。9月には『ザ・ゴールデン・カップス』のマモル・マヌー氏(享年71)、ルイズルイス加部氏(享年71)も相次いで他界した。

 ここでは、彼らの冥福を祈りつつ、約半世紀前に熱いブームを呼んだグループサウンズ(以下・GS)にまつわる衝撃秘話、泣ける逸話を一挙紹介したい(以下、文中一部敬称略)。

*     *

 GSが生んだ最大のスターは、“ジュリー”沢田研二(72)だろう。彼にとって、タイガースのメンバーは、かけがえのない存在だった。

 解散から10年後の1981年に、GSの聖地・日劇の取り壊し前のさよならイベントとして『日劇ウエスタン・カーニバル』が復活開催された。このとき、多くのグループが再結成し、タイガースも久々に結集。

 翌年には、“ザ・タイガース同窓会”として活動を展開。新曲『色つきの女でいてくれよ』がヒットした。

「この曲でジュリーはサブに徹し、メインヴォーカルを加橋かつみ(72)に譲っています。ジュリーはワガママが言える立場ながら、高音の加橋と自身の声が重なる、タイガース特有のハーモニーを重んじたんです」(音楽関係者)

 だが、この“同窓会”に不参加の人物がいた。

「ドラムの瞳みのる(74)です。芸能界を離れ、やがて高校教師になった瞳は、メンバーとの関わりを絶っていました」(前同)

 しかし、仲間たちは瞳との再会を願っていた。97年頃には、岸部一徳(73=以前は岸部修三)、森本太郎(73)、ジュリーのユニットで、『Long Good -bye』という瞳に捧げる楽曲を作っている。

「その後、2008年にNHKの番組で、ジュリーが同曲を披露。

「岸部四郎、ジュリー、ショーケン…世間が熱狂!グループサウンズの「感動秘話」」のページです。デイリーニュースオンラインは、岸部一徳沢田研二萩原健一エンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る