寂れた炭鉱設備、道路に佇む1匹のキタキツネ... 「北海道の廃れた世界」を映した写真に反響 (2/3ページ)

Jタウンネット

羽幌炭砿は、かつて繁栄を誇った炭鉱の街だった。

それが衰退するまでの経緯については、ゆかりの深い「鈴木商店記念館」のウェブサイトや、羽幌炭砿についてのドキュメンタリー作品を制作した「羽幌カラー現像所」のサイト中コンテンツ「ふるさと羽幌炭砿」などに詳述されている。

また、「ふるさと羽幌炭砿」では、羽幌炭砿から閉山までの経緯を描いた「羽幌炭砿 ~黒いダイヤに夢を賭けた物語~」という約16分の動画を見ることができる。Jタウンネットも参照させてもらった。関心のある読者はのぞいてみてはいかがだろう。

これらのサイトによると、1940年に石炭積み出し用の鉄道が開通し、この場所での本格的な炭鉱経営がスタートした。以来、「羽幌炭砿」として、1970年の閉山まで賑わった。

最盛期の60年代には、3つの地区で約3000世帯、人口1万3000人が暮らしていたという。街には小中学校、病院や郵便局など生活に必要な施設や、映画や演劇が楽しめる会館などの娯楽施設もあった。川沿いには商店街も形成され、約200メートルに渡って様々な商店が並んでいたそうだ。

しかし70年、国のエネルギー政策の転換等に伴い羽幌炭砿は閉山を余儀なくされた。1万人を超える住民は、街を立ちさらざるを得なくなったという。

「羽幌炭砿」施設跡 「道民の人」(@North_ern2)さんのツイートより
「羽幌炭砿」施設跡 「道民の人」(@North_ern2)さんのツイートより

冒頭のツイートの投稿者「道民の人」さんは、北海道内の廃村や廃墟になってしまった炭鉱集落が好きで、地元の函館から羽幌へ何度も通っていると語る。この写真を撮影したのは3度目の訪問になる2017年の10月頃だったそうだ。

「私が『羽幌炭砿』について一番最初に知ったのは、高校生の時、地元のニュースで見た元羽幌炭砿職員の方のインタビューだったと思います。実際に私が最初に羽幌炭砿を訪ねたのは、それから5年ほど経ったころです。

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