冥途もお供いたします…政略結婚にも愛はあった。武田家滅亡に殉じた悲劇のヒロイン・北条夫人【下】 (4/8ページ)
北条からの攻勢に悩まされた勝頼は天正九1581年に佐竹の仲介を得て安房国(現:千葉県南部)の里見義頼(さとみ よしより)とも同盟しますが、これも佐竹と同じで、北条氏の分厚い壁を突破するには至りません。
見殺しにされた高天神城、家臣たちの相次ぐ離反次第に手詰まりとなっていた勝頼の威信が一気に失墜したのは、同年3月「高天神城の戦い」。
守将・岡部元信(おかべ もとのぶ)が徳川に攻められて勝頼へ救援要請を出したものの、勝頼は信長への忖度から援軍を送らず、岡部らを見殺しにしてしまったのです。

「おのれ武田……っ!」見殺しにされ、敗死した岡部元信(イメージ)。
「日ごろ主君と仰ぐのは、ここ一番の庇護がため」……いざと言う時に守ってくれないヤツに、命を預けるなど出来はしない。信長が「勝頼は高天神城を見捨てた」と盛んに喧伝したことで、武田領には動揺が広がりました。
「もう武田は落ち目だ、従っていても先がない!」
代々仕えてきた譜代の家臣や、ことさら厚遇されてきた一門衆ならいざ知らず、ただ力で征服され、しぶしぶ従っていた国人衆が次々と武田を見限り始めてしまいます。
「おのれ、裏切り者どもめ……やはり戦に勝って、我が威信を取り戻さねば!」
勝頼は不屈の闘志を燃やしてなおも戦い続け、北条や徳川と死闘を繰り広げる一方では織田との和睦交渉を継続、何とか活路を見出そうとしていましたが、信長にその意思はありません。