冥途もお供いたします…政略結婚にも愛はあった。武田家滅亡に殉じた悲劇のヒロイン・北条夫人【下】 (6/8ページ)

Japaaan

甲府盆地を見晴らす武田八幡宮。

「(前略)……みき(右)の大くわん(願)ちやうしゆ(成就)ならは かつ(勝)頼 我とも(倶)にしやたん(社壇)みかき(御垣)たてくわいろう(回廊)こんりう(建立)の事うやまつて申(す)
天正十ねん(年)二月十九日   みなもと(源)のかつ頼 内(うち)」

【意訳】
……以上、大願成就の暁には、勝頼と私で社殿や玉垣を建て、回廊も増築いたします……年月日 源(武田)勝頼の家内より。

いつか武田家の安泰を取り戻し、夫婦仲良く八幡様に奉仕できますように……そんな願いもむなしく、いよいよ織田の軍勢が甲斐国へなだれ込んで来ると、勝頼は北条夫人らを連れて岩殿山城(現:山梨県大月市)を守る譜代の家老・小山田信茂(おやまだ のぶしげ)を頼りました。

しかし、信茂はとっくに織田へ寝返っており、あっけなく拒否されたばかりか鉄砲まで撃ち放ったというからあんまりです。

「……もはやこれまで……女子供を道連れにするのは忍びない。そなたは北条の実家を頼って落ち延びるがよい」

散々にさまよった挙句、天目山(現:山梨県甲州市)までたどり着いた勝頼は、北条夫人たちだけでも解放しようと彼女に離縁を申し出ますが、それは受け入れられません。

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