冥途もお供いたします…政略結婚にも愛はあった。武田家滅亡に殉じた悲劇のヒロイン・北条夫人【下】 (3/8ページ)
東に怒り狂った北条、西に強大な織田・徳川、そして北には強くて義理堅いけどアテにできない上杉に囲まれ、武田家はジリ貧に陥ってしまいます。
何とかせねば……と、勝頼は天正七1579年に常陸国(現:茨城県)の佐竹義重(さたけ よししげ)と同盟を結びますが、これまた地理的に遠く、北条を東西から挟み撃ちして突破口を開くには力不足です。
勝頼の外交図。後に里見氏とも同盟し、遠交近攻を実践するも、若干の力不足は否めない。
しかし、この佐竹との同盟によって義重が仲介となり、織田との和解合意が成立しました。
これを甲江和与(こうごうわよ。江は江州=信長の本拠地・近江国の意)と言い、信長は義理の孫(※)に当たる武王丸の元服に際して、官途の奏請(朝廷に対し、官位を授けるよう奏上すること)を行っています。
(※)勝頼の先妻・龍勝院(りゅうしょういん。本名不詳)は信長の姪で養女となっていました。
「これで織田の後ろ盾が得られた。武王丸改め信勝のことも気に入っておるようだし、まずは大丈夫だろう」
「……そうだといいのですが……」
織田とは表向き和解したようでいながら、その「手先」である徳川は北条と通謀して相変わらず武田領を脅かし、一進一退を繰り返していました。