冥途もお供いたします…政略結婚にも愛はあった。武田家滅亡に殉じた悲劇のヒロイン・北条夫人【下】 (5/8ページ)

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信長は朝廷に働きかけて正親町(おおぎまち)天皇に「勝頼は朝敵(朝廷の敵=征伐対象)である」ことを認めさせ、近く兵を興すことを家臣たちに下知しました。

そして天正十1582年、信長が武田征伐の大軍を進めると、勝頼の義弟(信玄公の娘婿)であった木曾義昌(きそ よしまさ)が織田に寝返ります。

「ついに勝頼は、身内(一門衆)にまで見放されたぞ!」

裏切り者が続出する武田家中にあって、最期まで抵抗し、甲州武士の意地を魅せた仁科五郎盛信。

これを皮切りに武田家臣の離反が相次ぎ、瞬く間に領土が削り取られていきました。最期まで抵抗したのは勝頼の異母弟・仁科盛信(にしな もりのぶ)が守った高遠城のみで、残りはことごとく降伏。

極めつけとして、勝頼の義兄(信玄公の娘婿)である穴山信君(あなやま のぶただ。梅雪)までもが降伏。これによって駿河国(現:静岡県東部)を失い、とうとう甲斐一国にまで追い詰められてしまいました。

「冥途もお供いたします」天目山で壮絶な最期

「……仕えて日の浅い国人衆が時の利害によって強き者へ寝返るはやむなき事とて、日ごろ御屋形様より厚遇されてきた譜代や御一門衆の裏切りは道理に合いませぬ!」

北条夫人は勝頼の武運と裏切り者たちの調伏を祈願して、武田家の氏神である武田八幡宮(現:山梨県韮崎市)に願文を奉納しました。

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