我が肌は上様だけのもの…徳川家光への男色に殉じた堀田正盛の壮絶な最期 (5/5ページ)

Japaaan

この肌は……我が愛する上様(家光)以外の、誰の目にも触れさせとうないのじゃ……このまま(着衣で腹を)切るゆえ、構わず(介錯を)進めよ」

着衣のまま切腹した正盛(イメージ)。

お側へ上がって以来数十年間、上様がこよなく愛し、その指が触れなかったところはないこの肌を、人目に穢すことなく冥土までお届けしたい……その願いは、どこまでも家光への愛情にあふれるものです。

「……相分かった」

かくして愛する家光の後を追った正盛の辞世がこちら。

ゆくかた(行方)は くらくもあらし(暗くも非じ) 時をゑて(得て)
うき世(浮世)の夢の 明ほのゝそら(曙の空)

【意訳】死ぬと言っても怖くはない。あの方のお側へ行けるのだから

さりともと おもふもおなし(思うも同じ) ゆめなれや
たゝことの葉そ(ただ言葉ぞ) かたみ(形見)なるらむ

【意訳】そうは言ってもやはり悲しいが、あの方がくれた愛を頼りにその後を追おう

正盛の墓は江戸の東海寺(現:東京都品川区)にあり、日光の輪王寺(現:栃木県日光市)に眠る家光とは遠く離れているものの、二人の心はきっと通じ合っていることでしょう。

※参考文献:
高野秀行・清水克行『世界の辺境とハードボイルド室町時代』集英社インターナショナル、2015年8月
山下博文『遊びをする将軍・踊る大名』教育出版、2002年6月

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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