我が肌は上様だけのもの…徳川家光への男色に殉じた堀田正盛の壮絶な最期 (1/5ページ)

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我が肌は上様だけのもの…徳川家光への男色に殉じた堀田正盛の壮絶な最期

男色(だんしょく。男性同士の恋愛)と聞くと、往々にしてたくましい男性となよやかな男性のカップルを想像しがちですが、片方が足手まといになるようでは、血で血を洗う戦国乱世を生き抜けません。

平素は愛情を育みつつ、いざ有事には主君の楯となれるよう鍛錬に励み、また主君もそうした屈強な者たちを寵愛したものでした。

しかし、大坂の陣を最後に大規模な戦乱が終息(元和偃武)。泰平の世が訪れると次第にそうした風潮は廃れ、主君たちは女性的な美しさを求めて柔和な者たちを身辺に侍らせるようになりますが、そんな中でも武骨に愛情を育み続けるカップルもいました。

堀田正盛。Wikipediaより。

そこで今回は、戦国乱世も遠く過ぎ去った江戸時代、文字通り命がけで主君を愛し続けた堀田正盛(ほった まさもり)のエピソードを紹介したいと思います。

徳川家光の寵愛を受け、異例のスピード出世を果たす

江戸幕府の第3代将軍・徳川家光(とくがわ いえみつ)が男色を好むあまり、なかなかお世継ぎが生まれず、乳母である春日局(かすがのつぼね)が苦労した話はよく知られています。

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