徳川15将軍の“黒歴史”を発掘!暴れん坊・吉宗「大奥50人解雇」の禁断裏事情 (2/3ページ)

Asagei Biz

「ドラマでは毎回、側近や若年寄などが公金横領や賄賂を稼いだり、人を人と思わぬ所業を見とがめては、『余の顔を見忘れたか、成敗!!』という決めゼリフでみずから将軍であることを明かし、『余の不明であった』と成敗するわけです。25年もやっていて、いまさら『余の不明』って、不明が多すぎると、ツッコミを入れられましたが(笑)」(井川氏)

 吉宗の治世について、歴史家、河合敦氏の見立てはこうだ。

「江戸時代における将軍は、前半にできた官僚制や集団指導体制によってしだいに政治の実権はなくなり、4代や7代将軍も無能だったり幼かったりして象徴的、お飾り的存在になります。けれど吉宗が紀州家から8代を継ぎ、『行革110番』の江戸版とでもいうべき『目安箱』の設置など、みずから改革を断行したので、一時的に権威は復活。もし吉宗が現れなかったら、もっと早い段階で将軍の力はなくなっていたかもしれません」

 続けて、歴史に詳しいお笑い芸人の桐畑トール氏が笑撃の真説を披露する。

「吉宗は幕府の財政を切り詰めるのに、大奥の美人ベスト50を解雇しています。美人は大奥を辞めても食い扶持は絶対にあるからとリストラしてるんですけど、吉宗は『B専』だったと思います。つまり不細工な人(ブス)大好きの人というのは、男前が多いんです」

 もうひとり、特筆すべき将軍として河合氏が挙げるのが、従来、「生類憐みの令」を出して「犬公方(いぬくぼう)」と揶揄された5代綱吉。

「生類憐みの令については、実はこれまで言われてきたような厳しい処罰をしていないんです。綱吉は湯島聖堂で朱子学を講義するなど儒教の普及に力を入れ、その精神をもとに、捨て子の禁止や行き倒れ人の保護を命じています。生類憐みの令もそうした社会福祉政策の一環だったと昨今では言われていて、現在の歴史教科書では、綱吉の治世の評価の見直しが反映され、名君だとか、立派な将軍というふうな記述になってきています」

 時代小説を創作するうえで、綱吉の時代は天下泰平の元禄時代で、近松門左衛門、井原西鶴、松尾芭蕉をはじめ、「忠臣蔵」の赤穂浪士事件など、現在でも人気の文芸や芸能が生まれている。中でも「大岡越前」などが登場する吉宗時代、とりわけ家斉の文化文政時代がおもしろいと、井川氏は言う。

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