怨霊と恐れらた菅原道真が「学問の神」へと神格化。人々に祀られるようになったわけ【前編】 (1/5ページ)
菅原道真といえば、今や受験生の心の拠り所「学問の神」「天神さん」として、はば広い世代の人にその名を知られています。
しかしながら、菅原道真は死後、時の権力者たちが震え上がるほどの「怨霊」として恐れられていたのです。そして、現在でも、日本三大怨霊の一人としてその名を連ねています。
しかし、それほど恐ろしい怨霊が、なぜ学問の神・受験の神さまとして、人々から厚い信仰を集め親しまれるようになったのでしょう。
その経緯を探ってみました。
幼い頃から才能に溢れていた道真『月輝如晴雪梅花似照星可憐金鏡転庭上玉房香』11歳で漢詩を作った道真(月岡芳年『月百姿』)
菅原道真は、幼少の頃から詩歌の才能を発揮していました。11歳で初めて漢詩を詠み、18歳で文章生(律令制の大学寮で歴史や詩文を専攻する学生)の試験にも合格。
その中から特別に優秀な2人が選出される文章得業生となり、その後は学者として最高の位・文章博士にも就きました。
40代前には、菅原家私塾の主宰となります。こうして道真は押しも押されぬ、朝廷における文人社会の中心人物となったのです。