怨霊と恐れらた菅原道真が「学問の神」へと神格化。人々に祀られるようになったわけ【前編】 (2/5ページ)
その才能ゆえ罠に嵌められ左遷される
文人として才能に溢れていた菅原道真は、政治の才覚にも優れ大活躍します。
もともと中級貴族の学者の家柄であった道真ですが、その才能ゆえ、時の帝・宇多天皇の寵愛を受け異例の出世を遂げたのです。
それは、当時、勢力を誇っていた藤原氏に対抗させるための、宇多天皇の手段であったともいわれています。
右大臣となった菅原道真ですが、この異例の出世が多くの貴族達の嫉妬と反発を買うこととなったのです。
その動きを、絶好の機会としたのがライバルの藤原時平。
宇多天皇の第一皇子である醍醐天皇に、「道真が謀反を企み、あなたではなく自分の義理の息子・斉世親王を天皇にしようとしている」と、根拠のないことを吹き込みました。
それを信じてしまった醍醐天皇は、無実の道真を九州の太宰府に左遷してしまうのです。