怨霊と恐れらた菅原道真が「学問の神」へと神格化。人々に祀られるようになったわけ【前編】 (3/5ページ)
無念のまま太宰府で亡くなった道眞
無実でありながら、罠に嵌められ反逆罪として左遷された菅原道真。
まるで犯罪者のようなひどい扱いを受け、太宰府までの道中食料や馬などの配給は禁止。4人の子どもも流刑という手酷い仕打ちを受けたのです。
さらに、到着した太宰府では、粗末な小屋で衣食にも困る劣悪な生活を強いられました。
無念・絶望・悲しみ・都への想い……胸が塞がれるほどの、筆舌に尽くしがたい日々を過ごした菅原道真は、太宰府に赴いてから約2年後に死去します。
上記写真は、道真一行が太宰府に行く途中に通りがかった記念に建てられたもの。この当時、近くには明石の駅があり、その駅長が道真を迎えに行ったそうです。