怨霊と恐れらた菅原道真が「学問の神」へと神格化。人々に祀られるようになったわけ【前編】 (4/5ページ)

Japaaan

碑に刻まれている漢詩は

「駅長無驚時変改造 一榮一落是春秋」
(駅長よ驚くことはない。季節と同じで、人生は良いときも悪いときもある)という意味合いです。

右大臣まで上り詰めた菅原道真が、藤原氏に嵌められて左遷され、一気に奈落の底に落とされてしまう……

無念や絶望の思いを抱えながらも、その姿はあくまでも凜然としていたと伝わります。

道真はどのような想いでこの句を詠んだのでしょうか。

道真の亡き後、陥れた貴族が次々と謎の死を遂げる

 歌舞伎「菅原伝授手習鑑」道真に仕えていた梅王丸は復讐を誓い藤原時平を襲う(歌川国貞)

道真が亡くなった直後、道真を陥れ子ども達も流刑にした、藤原時平を始め加担した貴族達が次々と謎の死を遂げていきます。

そして、洪水・長雨・干ばつ・伝染病など次々と天変地異が起こり、都の人々は「道真公の祟りだ」と恐れるようになりました。

醍醐天皇はその出来事に慄き、左遷の証拠となる文書を燃やすなど画策に走り、道真を右大臣に戻すなどと奔走しましたが、時すでに遅し。

とうとう、宮中に雷が落ち多くの人が焼死。それをきっかけに体調を崩して醍醐天皇も亡くなってしまいます。

さて、怨霊への恐怖に包まれた都は、この後どうなるのでしょうか…

続きは【後編】をごらんください。

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