戦国時代のハニートラップ!日本初の火縄銃づくりに貞操を捧げた17歳の乙女「若狭」【後編】 (4/5ページ)
「ついに出来たぞ!若狭。そなたのお陰じゃ……」
南蛮船に乗って嫁いでいってしまった愛娘に感謝しながら、遠く南洋に目を向けた金兵衛でしたが、その翌年(天文13・1544年)に若狭はあっさり帰って来ました。
「……もはや我慢の限界にございまするっ!」
「そうか……しからば、病にて亡くなったことと致そう……」
再会から数日後、夫・フランシスコを欺くために若狭の葬儀を執り行い、わざわざ棺に納めて埋葬(のフリ)をしたそうです。
「何だ、鉄砲の情報を聞き出すためだったのか!とんだ茶番につき合わされたモンだぜ!」
……天文13年蛮船に駕し来り父子相見る。数日して若狭大病にて死亡たると詐り、棺槨を当てて殯葬す。蛮人これを見て涙を流さず……
※「八板家系図」より。【意訳】天文13年に若狭が帰ってきて、父娘の再会を果たした。その数日後、若狭が病死したと偽って棺に納め、葬儀を上げた。南蛮人は(呆れて)涙も出なかった。
そりゃそうですよね。フランシスコ氏もお気の毒に……と思わなくもありませんが、そもそも価値観も習慣も、それこそ言葉も人種も何もかも違う同士の結婚ですから、よほどの愛情がなければ乗り越えられないであろうことくらい、予測できそうなものです。