霜降り明星の粗品は「まだかわいい」?千昌夫から矢沢永吉、林修…トンデモ「借金伝説」 (4/6ページ)
「精力的にツアーを回るだけでなく、俳優としてドラマや映画、CMに出演するなどして、わずか6年程度で完済したんです」(前同)
矢沢と同様、“マイトガイ”小林旭(82)も、本業以外の事業に手を出して大コケしている。
「30代でゴルフ場開発やテレビドラマ制作事業に失敗。当時の債務は10億円以上。そこから『仁義なき戦い』シリーズなどに出演しつつ、歌手としてキャバレー回りをして返済していました」(芸能プロスタッフ)
そして、その活動が予想外の副産物を生む。
「当時歌っていた『昔の名前で出ています』が夜の街で火がつき、大ヒットに。そのおかげで借金にケリをつけることができたんです」(前同)
“さすが、マイトガイ”と言いたいところだが、小林はその後、ホテル事業などに手を出し、またも失敗の憂き目に。
「そのときの借金額は当時、億円だと報じられました。しかし、当時は『熱き心に』のヒット後の再ブレイク期であり、高額のギャラで全国を巡ることで、またまた完済できたようです」(同)
■運が強かった芸能界の借金王
永ちゃん、マイトガイを大きく上回る“芸能界の借金王”が千昌夫(73)だ。
「世界規模で不動産投資を展開していましたが、バブル崩壊で大ピンチに。個人の負債が、3000億円に達した時期もあったはずです」(前出の音楽関係者)
本人の口から語られることはないが、千は、その借金地獄から逃れることに成功している。
「まず、主な借入先だった日本長期信用銀行が98年に経営破綻して一時、国有化され、公的資金が投入されたことで、負債は軽減されました。