宗教なくして無神論は生まれなかった。無神論は何に救いを求めるか。 (4/4ページ)

心に残る家族葬

あまりに不条理な世の中のどこに神がいるというのか。無力で無情な沈黙する神に対する怒りと悲しみの無神論である。この無神論に反論するのは難しい。リチャード・ドーキンスのような好戦的な無神論者になる気持ちも理解できる。それでも、そのような状況下において人は跪き、手を合わせるということをするのもまた事実である。

■ 「救い」から見る無神論

人智の及ばない何かに対する畏敬の念が、神仏への信仰を生んだ。同時に科学・学問の発達による理性的な認識から無神論が生まれた。一方が正しいというわけではない。どちらも人間の精神の営みであり、信仰者も無神論者も救われたいことに変わりはない。クールに見える無神論も「救い」の観点から考えると非常に人間臭いものが見えてくるのである。

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