長嶋茂雄と王貞治「プロ1年目のシーズン」愛と憎しみの60年ライバル秘話 (5/5ページ)

日刊大衆

打てなくても辛抱強く使ってくれたことが、どんなにうれしかったか……」

 仕福さんは終生、水原を“先生”と呼び続けた。初の“アベック弾”は天覧試合水原は王がベンチを温めているときにも、熱血指導した。王のベンチでの定位置は、水原の前の席。

「いいか、王。金田はストレートを投げるときのほうが、始動がゆっくりだろ」など、マンツーマンで強打者になるためのイロハを教え込んだのだが、これは長嶋のときには見られなかったことだ。水原は後年、「長嶋は放っておいても打つのは分かったから」と語っている。

 王の述懐によれば、「水原さんは、よく我慢してくれましたね。私が監督なら使ってませんよ(笑)。初ホームランも、よく入ったよね。あの当時は、今と違ってホームランを打つのは本当に難しかった」

■待望の“ONアベック弾”は天覧試合

 プロの厳しさを嫌というほど味わった王だったが、6月になると気持ちに少し余裕ができたという。3日の広島戦(ダブルヘッダーの第2試合)に代打で出場し、ライト前ヒット。これがプロ2本目のヒットだった。2安打を放った時点で、ようやく打率は1割に乗った。

 東京に戻って6日、国鉄戦で2本目のホームランを放つ。記録では“場外弾”。大器の片鱗を見せている。

 苦しみながらも徐々に成績を積み上げていった王。待望の“ONアベック弾”は、実は後楽園球場で行われた天覧試合(6月25日、阪神戦)だった。あの日、2ホーマーを放った長嶋の活躍に隠れ、王がホームランを打っていたことを知らない人も多い。以下は王の述懐。

「私たちの世代は、天皇陛下と聞くだけで、背筋がシャキッとするものです。あの日は、水原さんはもちろん、先輩方もすごく緊張していたので、いつもの何倍も張り詰めた空気だったことを覚えています。小山さんから打ったのはストレート。我ながら文句ない当たりでした」

 ちなみに、ONのアベック弾は計106回、記録されている。無我夢中で1年目のシーズンを駆け抜けた王だったが、94試合の出場で、打率.161、7本塁打、25打点と成績は低調だった。

「プロの速いストレートについていくため、ミートポイントを前に置く練習をした。それでストレートを打てるようになったと思ったら、今度は左投手が打てなくなったんだ。左右とも打てるようになったのは、“一本足”にしてからだよ」(前同)

 世界の王は、まだ雌伏の時を過ごしていた。

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