葬儀の簡素化と仏教慣用句「信は荘厳なり」という考え方は矛盾するか (2/2ページ)

心に残る家族葬

古の人たちは、阿弥陀経に描かれている極楽荘厳の光景に触れ、極楽に憧れ、いずれ往生するために心身を汚さずに生きていこうとしたのである。難解な哲学や、虚飾を捨て無の境地を説くような経典よりもわかりやすく信心を得やすい。荘厳の意義を体現している経典だといえるだろう。

■簡素化した葬儀 直葬

荘厳、つまり「美しく飾り付ける」思想は、葬儀における遺体に対する態度にも根付いているのではないだろうか。先日筆者は「直葬」に立ち会う経験を得た。筆者が参列した直葬は通夜や告別式を行うことなく、ほとんど身内だけで火葬のみを済ませる形式であった。僧侶による読経もないので、費用も時間もかからず故人を送り出すことができる。葬儀の簡素化が著しい近年においてますます増えていく形式だと思われる。筆者は正直、直葬に良い印象は持っていなかった。簡素化にも程があると思ったのである。宗教学者・山折哲雄も直葬を単なる「死体処理」だと批判しているが、「直葬」という響きからしていかにも事務的な印象を与える。従来の葬儀に比べると、淡々と進められ、見た目はあまりよろしくはない葬儀形式ではある。しかし、故人が生前望んだ形であるなら尊重するべきであるし、経済的負担もあるだろう。現代において直葬にせざるをえない事情を頭ごなしに否定するわけにはいかない。

それに実際には直葬といっても最後の別れの場面は、やはり特別な心情にかられるものだ。家族は納棺された故人の周りに溢れんばかりの花を敷き詰め、故人の好きだった物を置いたりする。「良い顔してる」「眠っているようだ」と話す家族・親族の脳裏には在りし日の故人の姿が浮かび、最後の別れを惜しむ。簡素化された時間であっても、決して手抜きではなく、家族と故人の温かな触れ合いの時間が生まれる。その時間を彩るのが、清潔にされた遺体と、その周りを囲む花や副葬品であり、遺体を美しく飾ることの大切さを実感した。筆者はそこに荘厳の思想を見たのである。その意味では山折の「死体処理」との批判は一面的であるといわざるをえない。

■葬儀に見出す荘厳の心

簡素化された葬儀においても、遺体を美しく飾り、故人の極楽往生を願う気持ちは変わらない。それは虚栄心とは真逆の真心の表れであり、 まさに荘厳の思想と同じである。様々な装飾を帯びて祭祀に近いものとなっていたものから、簡易な形に変わりつつある葬儀であるが、その根底には荘厳の心が見えてくるのである。

■参考資料

■中村元・紀野一義・早島鏡正「浄土三部経〈下〉観無量寿経・阿弥陀経 改訳版」 岩波文庫(1990)

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