密告と殺戮!奈良時代、それは血で血を洗う争乱が続いた時代だった。【前編】 (2/6ページ)
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奈良時代
それは、645年に起きた乙巳の変(中大兄皇子らが蘇我氏を滅ぼした事変)を契機に大化の改新による中央集権体制が進められ、さらに、壬申の乱を経て、天武・持統朝で天皇を頂点とする皇親政治が形成されたことによるのです。
しかし、そうした政治体制が、天皇をトップに頂きながら、そのもとで皇族や貴族たちによる政争が頻繁に起こるという事態を招いてしまいました。
血気盛んな奈良時代の貴人たちは、藤原氏の専制を許すことなく武をもって立ち上がったのです。それが血で血を洗う抗争に発展したということができるでしょう。
新興貴族藤原氏の隆盛が始まる
藤原氏の繁栄のもとを築いた藤原不比等。(写真:wikipedia)
奈良時代の政治史に重要な足跡を残したのが、中臣(藤原)鎌足の次男・藤原不比等(ふひと)でした。
持統天皇のもと一躍頭角を現し、大宝律令の編纂で中心的な役割を果たすことで、歴史の表舞台に立ちました。さらに、長女の宮子を持統の孫の文武天皇室とし、聖武天皇が誕生すると、天皇家の外戚として地位を固めていきます。
文武は、持統が寵愛したものの早世した草壁皇子(天武と持統の間の皇子)の子です。