密告と殺戮!奈良時代、それは血で血を洗う争乱が続いた時代だった。【前編】 (5/6ページ)

Japaaan

しかし、藤原氏の勢力が不比等の頃と比べると衰退していたのは事実で、それに不満を持った宇合の長子広嗣(ひろつぐ)が、740(天平12)年、九州で反乱を起こします。[藤原広嗣の乱]

藤原広嗣の乱は、派遣された朝廷軍により、ほどなく鎮圧され、広嗣は弟の綱手や部下たちとともに九州で斬首されました。

しかし、聖武天皇にとって皇后の実家である藤原氏から反乱が起きたのは大きな衝撃でした。乱の際中、聖武は平城京を脱出、恭仁・紫香楽・難波の宮を転々とし、ますます仏教に傾倒していくようになったのです。

 人臣初の皇后(諸説あり)として、大きな権力をふるった光明皇后。(写真:wikipedia)

勢力を拡大する仲麻呂と反発する貴族たち

藤原仲麻呂の邸宅・田村第跡地。

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