密告と殺戮!奈良時代、それは血で血を洗う争乱が続いた時代だった。【前編】 (3/6ページ)

Japaaan

そうした文武だけに、即位すると持統が太政天皇(譲位により皇位を譲った天皇)として後見につきました。こうして、不比等と持統の関係はさらに深まったと考えられます。

不比等はその後、次女の長娥子(ながこ)を太政大臣・高市皇子(天武天皇の長子)の子長屋王に嫁がせます。そして、三女の安宿媛(光明子/後の光明皇后)を聖武に嫁がせ、藤原氏と天皇家との関係を盤石なものにしました。

不比等の死後は、その子である武智麻呂(むちまろ/南家)・房前(ふささき/北家)・宇合(うまかい/式家)・麻呂(まろ/京家)のいわゆる藤原四兄弟に引き継がれます。この四兄弟がその後、日本の歴史に大きな影響を与え続ける藤原氏の源流となるのです。

 仏教を国家安泰の手段とした聖武天皇は不比等の孫にあたる。

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