密告と殺戮!奈良時代、それは血で血を洗う争乱が続いた時代だった。【前編】 (4/6ページ)

Japaaan

(写真:wikipedia)

政権は元一時藤原氏を離れ、皇族の橘諸兄へ

 光明皇后の立后を実現させた藤原四兄弟の武智麻呂と麻呂。(写真:wikipedia)

藤原四兄弟は、元正天皇、聖武天皇のもとで、その勢力を伸ばしていきます。彼らは、天皇家と藤原氏の関係を強化するため、聖武天皇に嫁いだ妹の安宿媛の立后を目指しました。

729(神亀6)年、下級役人たちから「右大臣の長屋王が呪詛により国家を傾けようとしている」という密告がなされました。藤原四兄弟はこの密告を逃しませんでした。

朝廷軍を率いて長屋王邸を囲むと、厳しく王を糾問します。その結果、長屋王は謀反の罪で、妻の吉備内親王とその皇子たちとともに自死に追い込まれてしまったのです。[長屋王の変]

長屋王の変の理由としては、王が安宿媛の立后に反対していたということが定説です。藤原四兄弟は、こうして、安宿媛を皇后(光明皇后)とすることに成功しますが、折から猛威を振るった天然痘に相次いで斃れてしまいました。

この時、四兄弟の子たちが若かった(政権参加は武智麻呂長子の参議豊成のみ)こともあり、政権は敏達天皇の子孫である橘諸兄が担当します。諸兄は、異父兄妹である光明皇后と協力し、四兄弟の政策を引き継いでいきます。

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