日蓮が太陽のような明るさと生来の前向きさを備えていた理由 (4/5ページ)

心に残る家族葬

極楽浄土などというあるかないかわからない曖昧なものではない。いま、ここを浄土とし生死を超越せよ。どこまでも前向きな日蓮の思想であった。なお、法然や道元ら高名な仏教者はいずれも辻説法は行っておらず、屋内での説法であった。空也(903〜972)以来とも言われる辻説法を行った日蓮のアクティブさはここにも現れている。 路上こそ太陽に向かって題目を絶唱した日蓮にふさわしい。

■行き過ぎる日蓮主義

日蓮の思想は他方で、満州事変の発案者・石原莞爾(1889〜1949)、2・26事件の精神的指導者・北一輝(1883〜1937)、血盟団事件の首謀者・井上日召(1886〜1967)など、歴史を揺るがした、多くの過激な日蓮主義者を生んだ。彼らの歴史的評価は一概には言えないとしても、日蓮のアクティブな攻撃性が過激な要素を秘めていることは確かだ。日蓮系教団の強引な布教(折伏)が問題となることもしばしばである。こうした側面も忘れてはならない。

■太陽の仏教者

多くの人には「南無阿弥陀仏」の念仏と「南無妙法蓮華経」の題目は同じようなものだろう。その内実は「念仏唱えてこの世から浄土へ逃げよう」と「題目唱えてこの世を浄土にしちゃおう」の違いということになる。逃げるか変えるか。それは好みとしか言いようがない(筆者は念仏をネガティブとは思わない)。
俗に「朝題目に夕念仏」という。節操が無いことの喩えで使われるが、日蓮や法然らの母校・天台宗では実際に朝に題目、夕方に念仏を称えている。極楽浄土は西にある。西は太陽が沈む方角である。夕焼けの空に向かい、静かな面持ちで極楽を思い念仏を唱える情景が浮かぶ。対して朝に唱える題目は日蓮の題目絶唱の逸話を思い起こさせる。一日の始まり、昇る朝陽に向かい、高らかに題目を唱える姿はエネルギッシュな日蓮そのものである。日蓮の前向きさ、明るさは仏教史上において稀有な存在だといえるだろう。

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