徳川家康も苦笑い…偏屈すぎる戦国武将・大久保彦左衛門のとんだ「あいさつ回り」 (1/3ページ)
戦国乱世も遠く過ぎ去ろうとしていた江戸時代初期、三河武士らしい剛直さをもって天下人・徳川家康(とくがわ いえやす)にも遠慮なくモノ申した自称「天下の御意見番」大久保彦左衛門(おおくぼ ひこざゑもん。忠教)。
犬にも喩えられた三河武士の一途な忠義ゆえと心得ていればこそ、家康も彦左衛門の傲岸不遜なモノ言いを受け入れてきましたが、世が平和に近づくにつれ、しだいにそれを許さない空気が生まれつつありました。
彦左衛門殿にも、そろそろ世渡りというものを覚えて貰わねば困る……大久保一族の中には、そう考える者が現れたようです。
彦左衛門「ご機嫌とりに来てやったぞ」五五 大久保彦左衛門は武勇の人にて、兼て気儘(きまま)に悪口(あっこう)ばかり申され、御老中方へ見舞などもこれなく候(そうろう)。或時一門衆より、「御手前は上の思召(おぼしめし)御懇ろにて御歴々も御崇敬なされ候(そうら)へば、唯今の通りにて御一代は相済むべく候へども、子孫の為を思召し、老中方へも折節には御見舞ひ、時代の風に御会釈ども御座候へかし。」と申され候。彦左衛門「尤(もっと)もの儀なり。」とて、その翌朝御老中へ相廻られ候。取次役も御主人方も、日比(日々)のゑせかたぎを存じ、早々御出合ひ、「珍しき御出(おい)で。」と御挨拶候へば、彦左衛門取合に、「当世は各(おのおの)へ追従(ついしょう)仕(つかまつ)らず候へば、子孫の為に罷(まか)りならず候由(そうろうよし。