竹中直人&山田孝之&齊藤工が監督の映画『ゾッキ』原作者・大橋裕之インタビュー「自費出版がきっかけで…」 (1/3ページ)

日刊大衆

大橋裕之(撮影・弦巻勝)
大橋裕之(撮影・弦巻勝)

 高校3年のとき、就職も進学も決まっていなかった僕は、格闘技が好きだったこともあって、「プロボクサーになろう」と決意しました。辰吉丈一郎が世界王者だった時代です。

 親や友達にも「ボクサーになる」と宣言していましたが、その後、『週刊ヤングマガジン』(講談社)の新人賞受賞作を読んだとき、「これなら俺にも描けるな」と思ってしまったんですね。そこで、ボクサーではなく、漫画家になろうと決めたんです。

 僕はもともと4〜5歳の頃から、絵がうまい3つ上の兄と一緒に、『週刊少年ジャンプ』(集英社)などの漫画をマネして絵を描いていました。保育園で『キン肉マン』の絵を描くと、周りから「うまいね」なんて褒められて、それがとてもうれしくて。だから当時は漠然と「漫画家になりたいな」と思っていました。

 その夢は小学生の頃に自然と消えてしまっていたのですが、18歳になって、また火がついてしまった感じですね。でも、周囲に「ボクサーはやめて、やっぱり漫画家を目指します」とは言いづらくて……。しばらくは、漫画を描いて新人賞へ応募しながら、しかたなくボクシングジムに通っていました(笑)。

 その後、19歳になって、漫画賞で佳作をもらいました。それから担当編集者もついてくれたんですが、「オチが分かりにくい」とか「ここは変えたほうがいい」とかダメ出しの連続で……。結局、これに耐えられなくなり、「すみません、やめます」と言って自分から逃げてしまいました。

 そのときは“応募を続けていけばまたどこかに引っかかるだろう”と、甘く考えていたんですね。でも、その後7年間、まったくダメでした。

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