おったまげ!日本の近代化に挑戦した幕末の天才奇人・佐久間象山かく語りき (2/5ページ)
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同じ青銅砲を使っていたお隣の清(しん)国が、アヘン戦争(1840年)でイギリスにボロ負けしたこともあって、兵器の近代化は日本の独立を守る上で急務となっていたのです。
「うむ、西洋式の大砲を造れるのは日本でこの僕だけであるからして、大船に乗ったつもりでいたまえ!」
この象山、確かに天才ではあったようですが、それと同時に紙一重な奇人でもありました。
「佐久間先生……お頼み申しますぞ!」
当時は高温で鉄を熔(と)かせる反射炉の技術がまだ導入されておらず、従来の製法では湯(ゆ。熔かした鉄)がドロドロして鋳型に上手く行き渡らず、金属の中に空気が入って砲身が脆くなり、一発撃ったら破裂してしまうなど、とても使い物になりませんでした。
だから低温で熔かせる青銅製の大砲が主流だったのですが、鉄製の大砲に比べて砲身が弱いため、装填できる火薬≒飛ばせる砲弾の重量や距離に劣り、それでアヘン戦争は惨敗だったのです。