15代将軍・徳川慶喜、敵前逃亡の後日談。大坂脱出に関わった人々のその後とは?【その2】 (3/5ページ)
しかし、旧幕府が完全に終焉を迎えた時、彼らは、それぞれ信じた道を歩みだすしかなかった。
恭順の後、徳川家とともに生きた人々 【酒井忠惇 ~駿府預けの後、東照宮祀官を歴任~】
酒井氏姫路藩9代藩主・酒井忠惇。恭順に徹し華族・男爵に列せられた(写真:Wikipedia)
江戸東帰後に、老中罷免、官位剥奪の上、維新政府から隠居謹慎を命じられた。その後、駿府の徳川家達の預けとなった。
1872(明治5)年になり、華族に列せられ、1889(明治22)年には上野東照宮副祀官、その後、久能山東照宮宮司となる。1899(明治32)年、69歳で没した。
【浅野氏祐 ~徳川本宗家に寄り添った生涯~】薩摩藩邸焼打ち事件など、江戸の情勢を伝えに大坂城に入ったその日が慶喜の大坂脱出当日という数奇な運命を担った人物。
慶喜からは、去留どちらとも随意という意向を示されたが、ともに東帰した。慶喜の水戸行に随行した後、徳川家達が駿府に入封されるとこれに従った。
1869(明治2)年の廃藩置県後、県知事に相当する静岡県参事に就任。1890(明治23)年からは公爵徳川家の家令を務め、1900(明治33)年、66歳で没した。生涯を通じて、徳川本宗家に仕えた。