15代将軍・徳川慶喜、敵前逃亡の後日談。大坂脱出に関わった人々のその後とは?【その2】 (5/5ページ)

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【高畠五郎 ~ウィーン万博の日本館で展示を行う~】

江戸東帰後は、上野国岩鼻の代官を務めていたが、維新政府軍に捕らえられた。まもなく釈放され、1870(明治3)年に兵部省に出仕した。

その後も、陸軍省、海軍省に勤務し、1884(明治17)年に没した。享年、60歳。1873(明治6)年には、ウィーン万国博覧会に派遣され、1年あまり、五大陸を周遊している。

歴史の表舞台から消えた人 【芳(新門辰五郎の娘) ~慶喜の愛妾として大坂に同伴~】

 芳の父・新門辰五郎。生涯にわたり、慶喜に義を尽くした。(写真:Wikipedia)

江戸の町火消・新門辰五郎の娘で、慶喜の側室・愛妾となる。辰五郎は、禁裏御守衛総督に就任した慶喜の命で子分を率いて上洛し、二条城を守護した。

上洛にあたり慶喜は、芳を同伴したとされるが大坂城にいたかどうかは定かでない。だが、大坂城脱出の折、開陽丸にも伴われていたことから「逃避行に女子を伴った」と、ひと悶着があったという。

芳は、明治維新以降、慶喜から暇を与えられたとみられ、歴史の舞台から姿を消した。

辰五郎は、慶喜の謹慎後も上野寛永寺を警固したり、徳川家の駿府移封時には、その行列を数千人の火消を率いて警護するなど積極的に活動を行っている。従って、芳も辰五郎の庇護下で暮らしたことは想像できる。

【その2】は、ここまで。

【その3】では、慶喜とともに江戸に戻った人々と慶喜東帰に関わった人々の中で、恭順謹慎を良しとせず、維新政府軍と抗戦した人々、さらに大坂城に残留した人々のその後を紹介しよう。

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