15代将軍・徳川慶喜、敵前逃亡の後日談。大坂脱出に関わった人々のその後とは?【その3】 (3/7ページ)

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その間、約3千名の藩士2百人以上の婦女子が、この戦争で犠牲になった

家老・萱野権兵衛が全責任を背負い自尽の上、一命を救われた容保は、和歌山藩などに預けられた後、維新後5年になる1872(明治4)年に赦され、江戸で暮らした。その後、日光東照宮宮司などを歴任し、1893(明治26)年、59歳で没した。

【松平定敬 ~会津戦争・函館戦争・西南戦争を歴戦~】

 本領桑名に戻れず、会津・函館・九州と戦い続けた。(写真:Wikipedia)

江戸東帰後、本領桑名へ戻ろうとするも、維新政府への恭順に決した桑名へは戻れなかった。そのため、飛び領地の柏崎を経て、実兄である松平容保と会津で合流した。

会津戦争が始まると、容保の依頼で米沢へ援軍要請に走り、会津降伏後に仙台で榎本武揚の旧幕府艦隊に合流、函館に移り、函館戦争を戦った

函館戦争終結前に、アメリカ船で上海に亡命するも生活に窮し帰国、1872(明治4)年に赦免された。その後、英語を学びアメリカに留学、西南戦争に旧桑名藩士を率いて従軍するなど、波乱に富んだ人生を歩んだ。1908(明治41)年、61歳で没した。

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