供養とは法要を通して故人に死んだことを繰返し伝えていくことである (1/2ページ)
大切な人、身近な人、お世話になった人。そういった方のご葬儀、法要のとき、どんな気持ちで向き合えばよいのか、考えながら参列した経験はあるだろうか。私はある。祖父母やいとこの葬儀の際、悲しい気持ちは当然あるのだが、それだけでよいのか、ただ悲しむだけが葬儀なのか、少し考えてしまった。今回は大島祥明著「死んだらおしまい、ではなかった」から、ご供養とは何か、どんな気持ちで臨めばよいかをお伝えする。
■故人は葬儀で自らの死を自覚する
大島氏は僧侶であり、これまでに二千人もの葬儀を執り行ってきたという。氏は本書で、葬儀とは死者本人に死を自覚させるために行うものだと書いている。興味深いことに、故人は、そのときはまだ自らの死を理解していないのだという。参列者を見て、会場を見て、そして自分の遺影や棺を見て、「あっ、自分は死んだのだな」と気づくというのだ。つまり、葬儀とは、「あなたは死んだのですよ」と気付きを促すためのものなのだという。
■未練を断ち、成仏へ
未練とは何かというと、「ああしたかった、これを食べたかった」とか、「あいつめ、こんちくしょう!」とか、生前に抱いていた様々な思いである。その思いが強ければ強いほど、自らの死を受け入れられなくなる。そして未練があると、人は成仏できなくなるという。
だからこそ、氏いわく、通夜、葬儀、初七日、四十九日と重ねて「あなたは死んだのですよ」と繰り返し伝えて、故人が死んだことを納得させていくそうだ。
■ご供養は我が子を思うように
「あなたは死んだのですよ」と繰り返し言い聞かせていくのは、未練を断たせるためである。そして、成仏するためにはご供養が大切だ。氏によると、ご供養は我が子の成長を見守るような気持ちで行うとよい、という。ご供養と、子供の成長と、どのように関係があるのか。
・初七日=お七夜
子が生まれてからの一週間にあたる。古くからの習わしで、子供の命名をお七夜に行って一区切りとしてきた。故人にとってはこれが初七日になる。
・お宮参り=四十九日
子供が産まれてからお宮参りをするが、これは神さまやご先祖さまに報告して、人間の仲間入りをする意味を持つ。