大河ドラマ「青天を衝け」渋沢栄一がパリで出会う栗本鋤雲(くりもとじょうん)って何者? (4/5ページ)
幕府のパリ派遣団。瀬兵衛と栄一はどこに?Wikipediaより。
目的はパリ万国博覧会への出展。西欧列強に対して「幕府こそが日本の代表である」ことを示して(経済・軍事・技術)支援を確保するためです。
「おのれ、薩摩の連中が勝手なことをしおって……」
薩摩藩は幕府とは別に「日本薩摩琉球国太守政府」という名義で出展。独自の勲章まで作って、さも日本国内に2つの政権、いや自分たちこそが日本国の主権者であると言わんばかり。
このままでは、やがて幕府は滅ぼされる……そんな危機感から徳川昭武らが派遣されたのでした。
パリへ渡った瀬兵衛はここで渋沢栄一と出会い、共に力を尽くしてフランス・イギリスなど列強との関係構築に努めるのですが、既に日本国内の風雲急激にして、同年10月には大政奉還が行われ、徳川幕府が滅んだことを知らされます。
「何ということだ……これで、すべて水の泡か……」
しかし嘆いていても始まりません。すべきことの始末をつけて帰国の途をたどった瀬兵衛たちは慶応4年(1868年)6月、横浜港へ帰って来ましたが、既に江戸は明け渡され、新政府軍と幕府残党による戦闘(戊辰戦争)が繰り広げられていました。