大河ドラマ「青天を衝け」渋沢栄一がパリで出会う栗本鋤雲(くりもとじょうん)って何者? (5/5ページ)

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エピローグ

「上様の安全が確保されている以上、ここは一つ様子を見るよりあるまい……」

明治2年(1869年)5月18日、蝦夷地は箱館まで後退しながら抵抗を続けた旧幕府軍がついに降伏。

かつて開発に携わった箱館の戦乱を、瀬兵衛はいかに思っただろうか。永嶌孟斎「箱館大戦争之図」より。

ここに戊辰戦争が終結すると、かねてよりその能力を高く評価されていた瀬兵衛は新政府から仕官するよう誘いを受けますが、幕府への忠義からこれを辞退します。

「やはり、上様を御政道より排斥した藩閥政府への協力は致しかねる」

かくして下野した瀬兵衛は明治5年(1872年)に横浜毎日新聞社(※現代の毎日新聞とは別会社)へ入社。以降はジャーナリストとして活躍し、明治30年(1897年)3月6日に気管支炎で亡くなりました。

江戸から蝦夷地へ渡って樺太・千島を探検、さらにはパリまで雄飛した人生は、まさしく日本を生まれ変わらせる活力に満ちたものであり、また医者・武士・外交官・ジャーナリストとどんな立場でも自分に出来る最善を尽くした姿は、後世の鑑として現代に伝えられています。

※参考文献:
井田進也『幕末維新パリ見聞記』岩波書店、2009年10月
小野寺龍太『大節を堅持した亡国の遺臣 栗本鋤雲』ミネルヴァ日本評伝選、2010年4月

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